【ニチレイ 経理・IR部門に聞く】ROIC経営の実践知― 20年の軌跡 | 後編:グループ求心力経営への転換におけるROICの役割
ROIC経営の重要性が叫ばれる一方、「指標を導入したものの現場に浸透しない」「具体的な行動に結びつかない」という課題を抱える企業は少なくありません。そうした中、20年以上にわたり資本コストを意識した経営を実践し、独自の仕組みで現場への落とし込みを実現してきた企業があります。
本記事では、株式会社ニチレイ(以下、ニチレイ)の経理・IR部門の皆様に、アバントCOOの諸井伸吾がお話を伺います。
前編では、EVAからROICへの変遷、現場が自ら改善につなげられる簡易ROICの設計思想、そしてROICツリーの限界を踏まえた事業別の落とし込みについてお聞きしました。
後編では、分社化がもたらした各社の事業成長と、再びグループとしてどのようにシナジーを生み出そうとしているのか、また、その中でROICが共通言語としてどのように機能しているのかについてお話しいただきます。
■ 前編も併せてお読みください。
【ニチレイ 経理・IR部門に聞く】ROIC経営の実践知― 20年の軌跡 | 前編:ROICを現場に浸透させた秘訣
株式会社ニチレイ
1945年設立。本社、東京都中央区。食品事業(ニチレイフーズ)と低温物流事業(ニチレイロジグループ)を二本柱に、不動産・バイオサイエンスなどを展開する。冷凍食品で国内最大手、低温物流でも国内首位の規模を持つ。2005年に持株会社体制へ移行した。
連結売上高7,161億円、連結従業員数約17,700名(2026年3月期)。東証プライム上場、日経平均株価構成銘柄。
写真中央:IR部長 市川 俊氏
右:経理部・部長 宮腰 保志氏
左:経理部長 佐藤 康範氏
分社化の決断がもたらした各社の事業成長
アバント・諸井 グループ経営の視点から、ROICがどのような役割を果たしてきたのかお聞きしていきたいと思います。
まず2005年の分社化は、どのような狙いで行われたのでしょうか。
宮腰氏 各社の事業形態が異なる中で、意思決定のスピードを上げ、成長を加速させたいという思いがありました。各事業が独立して、それぞれの業界で独自の力で成長を遂げさせようという考え方を、当社は「遠心力」を利かせた経営と呼んでいます。当時、グループ全体の営業利益5%という目標は実現困難と思われていましたが、現在は安定的に達成できるようになっています。遠心力を20年間利かせ続けた賜物ではないかと考えています。
諸井 遠心力型の経営が、実際の成果につながっている点は非常に示唆的ですね。一方で、各事業の自律性を重視するからこそ、グループとしての一体感との両立は難しいテーマでもあるように感じます。その点はいかがでしょうか。
市川氏 国内については、事業の性質上、連携せざるを得ない面もあり、低温物流と食品の事業間におけるシナジーは自然と生まれていました。しかし海外は事情が異なり、欧州では低温物流、北米では食品が先行するといったように、各事業がバラバラに展開している点が課題でした。グループ一体となったシナジーを考えるべきですが、遠心力の副作用として、持株会社によるグリップが効きにくくなっていた面は否めません。
諸井 遠心力によって各社が成長を遂げた後、再び求心力を高めていくのは、グループ経営における典型的なステージ変化だと感じます。国内では自然にシナジーが生まれても、海外では意図的な仕組みがなければ距離が離れたままという対比は興味深いですね。
求心力への転換を図る際の共通言語はROIC
諸井 国内では自然に生まれたシナジーを、海外で意図的に作り出すには、グループとしての仕掛けが必要になるかと思います。どのような手を打たれていますか。
市川氏 創立80周年を契機にミッション・ビジョンを刷新し、グループとしての結束を改めて打ち出しました。経営方針の見直しに加え、各事業を横串で刺すCxOのポジションも今年度から新設しています。20年間、遠心力で育ててきたものを、今度はグループ一体となってシナジーを出すフェーズです。
諸井 グループにとって歴史的な転換点とも言える中、この20年間積み重ねてきた資本コスト経営の蓄積は大きかったのではないかと感じます。ROICという共通言語を持っていたからこそ、新たな方向性を示した際にも同じ数字・同じ言語で会話できる土台が築かれていたという側面もあるのでしょうか。
宮腰氏 それはあると思います。数字の水準が違っても、ROICという一つの指標は共通しているので、異なる事業同士がシナジーを議論する場面でもスムーズです。また、食品事業と低温物流事業でも、自前で工場や倉庫を持つべきか外部を使うべきかというアセットライトの意識が高まっています。これらは、ROICで効率性を見続けてきた結果だと感じています。
諸井 社内外における共通言語は、一朝一夕に作れるものではありません。これまで積み重ねてきた実績があったからこそ、方向転換の局面でも機能したわけですね。同様に水産事業の構造改革や食品事業の統合においても、ROICという共通の物差しが一定の役割を果たしたのでしょうか。
佐藤氏 ROICだけが判断材料だったわけではありませんが、議論の発端になったのは確かだと思います。収益性が上がらない事業をどうするかという観点は、ROIC指標があったからこそです。収益性の低い商品を整理してROICを改善したうえで、加工食品事業に統合するという段階的な再編を進めることができました。
諸井 求心力を高めるといっても、これまでの遠心力を否定するわけではありませんね。
宮腰氏 遠心力型から求心力型に転換するといっても、再び各事業を一つに統合しようというわけではありません。各事業の良さを活かしながら、横串で全体を観察しようというのが狙いです。そのため全社で共通化する部分と、引き続き各事業に委ねる部分の線引きも重要ですが、ここはまだ議論の途上です。
ニチレイにおける投資判断の実際
諸井 投資判断のプロセスについてお聞きします。ハードルレートの設計は、実務上かなり悩ましい論点ではないでしょうか。全社一律で設定すると事業ごとのリスク特性が反映されませんし、事業別に細かく分けると算定の負荷や恣意性の問題も生じます。貴社ではどのように運用していますか。
宮腰氏 国内は、事業別に類似企業をベースにしてハードルレートを算出し、中計の期間中は固定する方針を取っています。頻繁に変えて現場が振り回されるのを防ごうという考えが背景にありますが、一方、海外の投資案件については案件ごとに算出します。事業の性質も地域のリスクも異なるので、国内と同じ基準をそのまま当てはめるわけにはいきません。
諸井 投資の意思決定は事業会社に任せているのでしょうか。それともグループで横断的に判断するケースもありますか。
佐藤氏 両方のケースがありますね。年次の戦略会議で確認した方針に沿った投資は、事業会社の判断で進めてもらいます。ただ、既存事業の延長線上にないと判断される案件は、持株会社も一緒に入って判断する必要があります。
興味深いのは、M&Aの進め方を例にとっても、業界によってまるで事情が異なる点です。低温物流業界では買収先の経営陣が次の案件を持ちかけるケースも少なくありません。
その結果、自律的な広がりが期待されますが、食品業界はそれほど成熟していません。
諸井 M&Aに関しては、当社でも成長投資の枠は設けているものの、相手のある話ですから計画通りに進まないことの方が多いのが実態です。その辺りの難しさはありますか。
市川氏 そうですね。中計にM&Aによる増収効果を織り込んだこともありますが、相手も時期も確定していないものを計画に入れるべきではなかったという反省もあります。現在は資金枠としてはしっかり確保しつつ、足りなければ有利子負債も活用するという方針にしています。M&Aが実行されなかった場合にそのキャッシュをどうするかも含め、キャッシュアロケーション全体の中で考えるようにしています。
投資家との対話で経営層と現場が変わる

諸井 伸吾
コンサルティングファーム、ファンド、事業会社での経営企画や事業本部長、COOを経験し、2022年4月より企業経営に役立つ情報システムを探求し続けてきたアバントグループに参画。現在はアバントCOOとして戦略実現に取り組む。
諸井 私もIRを担当する立場として常に感じていますが、投資家から受けた問いかけやフィードバックを、どこまで社内に届けられるかで、指標への意識がまるで変わります。ROICも社内で決めた数字ではなく、投資家が注目しているという実感が伴うと、現場の意識が変わると考えています。貴社では投資家との対話をどのように社内還元していますか。
市川氏 以前はIR部門と投資家のやり取りで完結していましたが、今は大きく変わりました。投資家との面談に事業会社のメンバーを傍聴させたり、社内向けに投資家をお呼びして勉強会を実施したりしています。決算発表の内容も社内でしっかり説明するようにしています。各事業の経営企画のメンバーが投資家の声を肌で感じながら予算を作るようになった点は、大きな変化ですね。
諸井 投資家との対話の場に経営トップが直接出ることの効果はいかがですか。
市川氏 海外投資家への面談を社長が経験したことは、大きな転機でした。最初は手探りでしたが、実際の訪問を経て非常に効果を実感したようです。国内投資家が比較的短期の数字を確認するのに対して、海外投資家は5年先、10年先のビジョンを問われます。経営者にとって、日常では得がたい気づきや刺激がありますし、社内では相談しにくい内容を率直に問われる新鮮な場でもあります。
諸井 投資家の声を現場に届ける仕組みは、ROICを形骸化させないための重要な装置だと思います。「なぜこの数字を追うのか」という意味づけが、外部からの視点によって補強されると感じました。
ROICの限界とキャッシュアロケーション
諸井 ROICを長年活用されてきた中で、ROICだけでは捉えきれないと感じる点はありますか。
宮腰氏 最も警戒すべきなのは、ROICを高めようとするあまり、投資が委縮することです。
ROICの分母は投下資本ですから、投資を抑えれば数字は自然と良くなります。役員報酬にも組み込まれているため、目標を達成したいという動機が働けば、分母を小さくする方向に力が働きかねません。しかし、それでは中長期の成長の芽を摘んでしまい、次の世代に課題を残すことになります。
諸井 ROIC偏重が投資抑制を招くリスクは、資本コスト経営に取り組む多くの企業に共通する論点だと思います。そこをどう防いでいるのでしょうか。
宮腰氏 成長投資の進捗をモニタリングしています。利益が出ていても、それが戦略投資の計画遅れによって減価償却費が減った結果ならば、評価につながりません。加えて、キャッシュアロケーションの方針を対外的に開示し、成長投資、株主還元にどう配分するか明示しています。EBITDAの成長もあわせて見ることで、見かけの利益改善ではなく、本当に稼ぐ力が伸びているのかを確認するようにしています。
諸井 成長投資が計画通りに進んでいるかまでモニタリングしている点に、20年間の蓄積による仕組みの成熟度を感じます。ROICは目的ではなく、企業価値を高めるための手段である。その認識が、長い実践を通じてグループ全体に根づいているのだと受け止めました。
まとめ
諸井 ニチレイグループのROIC経営の実践で印象に残った点は、現場がコントロールできる指標で簡易ROICを設計し、自ら考える仕組みを作る点です。四半期のモニタリングで回し続けた結果、グループ経営のステージ転換をも支えている点が印象に残りました。
市川氏 最初からうまくいったわけではなく、EVAの20年間にわたる運用は、結局現場に根付きませんでした。だからこそ「自分の行動でこの数字が動く」と実感できることの大切さを学びました。コントロールできる指標と考える権限を現場に渡すことによって、意識が変わり、やがて組織が変わっていきました。完璧な仕組みを一度に作ろうとせず、走りながら直していく姿勢が大切ではないでしょうか。
諸井 たしかに一朝一夕では真似できないものの、試行錯誤を続けている企業にとって何か得られるものがあれば幸いです。本日はありがとうございました。
■ 前編も併せてお読みください。
【ニチレイ 経理・IR部門に聞く】ROIC経営の実践知― 20年の軌跡 | 前編:ROICを現場に浸透させた秘訣
諸井伸吾 対談後記
今回のお話で特に印象的だったのは、「現場が自分で動かせる指標へどう翻訳するか」という点でした。
資本コスト経営に取り組む企業は増えていますが、指標と現場の行動が結びつかず、形骸化に悩むケースも少なくありません。ニチレイグループでは、20年間にわたる試行錯誤を通じて、現場がコントロール可能な指標設計と、自ら考える余地を残す運用を積み重ねてこられました。ROICそのものよりも、「現場が自分事として捉えられるか」が、実践を分ける重要なポイントなのだと改めて感じました。
※引用されたデータや状況、人物の所属・役職等は本記事執筆当時のものです。
