【一橋大学大学院・中野教授に聞く】「資本コスト経営」が目指すものとは何か | 後編:多様化する投資家との対話
コーポレート・ファイナンス研究の第一人者である一橋大学大学院 教授の中野 誠氏に、アバントグループCSO兼アバントCFO 諸井 伸吾が、実務家の視点からお話を伺います。前編では、「資本コスト経営」と「企業価値経営」それぞれの本質を整理しました。資本コスト経営が「スプレッドの質」を高める取り組みであるのに対し、企業価値経営は「質×量」に加えて測定しにくい無形の価値も含む、より包括的な概念であることが示されました。
後編では、資本コスト経営を実践するうえで直面する具体的な課題を整理するとともに、多様化する投資家との対話、経営者に求められる視座や意思決定のあり方について、お聞きします。
※前編も併せてお読みください。
【一橋大学大学院・中野教授に聞く】「資本コスト経営」が目指すものとは何か | 前編:資本コスト経営の本質を問う
投資家が本質的に見ているものとは
アバント・諸井 昨今のトレンドによって変わる部分もあるかと思いますが、本質的に投資家は何を見ていると考えるべきでしょうか。
中野氏 最終的には、営業利益率と成長性に帰着すると考えます。まず、その事業が十分に高い利益率を確保できるビジネスモデルであるかを見極めることが出発点です。そのうえで、組織全体として高収益事業を拡大できているか、相対的に収益性の低い事業を適切に見直せているかが問われます。
諸井 ROICツリーのように詳細に分解した指標よりも、よりシンプルな指標を重視するという考え方でしょうか。
諸井 当社に限らずSaaS企業でも、同様の考え方が重視されていますね。米国では「Rule of 40」と呼ばれ、収益性を維持しながら成長するための目安として用いられています。売上成長率と営業利益率の合計値が40%以上であれば、一定の評価水準に達しているとされています。
さらに、サステナビリティ開示など制度的な情報開示の拡充が進む中で、これらの動きはどのように捉えるべきでしょうか。
中野氏 企業が対応すべきことが年々拡大しているのは事実です。ただし、投資家がそれらを細かく見ているかと問われれば、必ずしもそうとは言い切れません。
制度開示は遵守すべきルールですが、それ以上に重要なのは、事業戦略の方向性を明確にし、その実現に向けたストーリーを一貫性をもって発信することでしょう。

中野 誠氏
2000年から一橋大学ビジネススクールで教壇に立つ。主にMBAでコーポレート・ファイナンス講座を担当。ASBJ無形資産委員、日本銀行客員研究員を歴任。企業価値評価、キャピタル・アロケーション、人的資本会計等に詳しい。主著に『戦略的コーポレート・ファイナンス』(日経文庫)がある。
多様化する投資家との対話
諸井 企業価値の向上には、投資家との対話が重要であるとされています。成長戦略を的確に伝えることが、企業価値の正当な評価につながるという考え方です。一方で、投資家の属性は年々多様化しているようにも感じられます。
中野氏 おっしゃる通り、一口に投資家といってもその投資スタンスや時間軸、重視する指標はさまざまです。だからこそ企業は、どのような情報を発信するか、戦略的に設計する必要があります。長期保有を前提とする投資家がいる一方で、短期的なリターンを重視する投資家も存在します。配当志向かキャピタルゲイン志向かによっても、賛同を得やすい経営方針は異なるため、多様な株主構成を前提に対話の在り方を再定義することが求められます。
諸井 つまり、相手に応じて情報発信の方針を変える必要があるということでしょうか。
中野氏 そうですね。例えば、北米のある大手スキーリゾート運営会社に対し、アクティビストが「配当を減らしてでも顧客体験や従業員への投資を優先すべきだ」と経営陣に提言したケースがあります。
中野氏 高級リゾートは、ホスピタリティによって価値が創出されるビジネスモデルです。だからこそ、賃金水準の引き上げや教育機会の拡充、休暇制度の充実といった待遇改善を求めたのでしょう。
諸井 短期的なリターンよりも、事業の本質的価値の向上を重視する投資家が増えてきた兆候と捉えることもできるでしょうか。
中野氏 そのような投資家が少しずつ増えているのではないかと思います。もちろん、即時の還元を重視する投資家も依然として多いでしょう。ただし、アクティビストの主張にも変化が見られます。
かつては単純にペイアウトを求めるだけだったのが、近年では事業ポートフォリオの見直しや、さらには人材投資にまで言及するケースが増えています。これは、投資家側の視点がより中長期的な価値創造へと変化していることの一例と言えるでしょう。

諸井 伸吾
コンサルティングファーム、ファンド、事業会社での経営企画や事業本部長、COOを経験し、2022年4月より企業経営に役立つ情報システムを探求し続けてきたアバントグループに参画。現在はアバントグループCSO/IR室長、アバントCFO/取締役として戦略実現に取り組む。
資本市場の要請はどう変化していくか
諸井 こうした資本市場から企業への要請は、今後どのように変化するとお考えですか。
中野氏 キャピタル・アロケーションの明確化がこれまで以上に強く求められるでしょう。現金を過剰に保持せず、投資かペイアウトかを明確にすることが重要だと考えます。投資を行う場合は利益率を意識する必要があり、自社で十分に経営できない事業については、より適切なオーナーへの売却も含めて検討することが求められます。
諸井 事業の入れ替えを促す圧力が強まるということでしょうか。
中野氏 PBRを高めるには、収益に寄与していない事業を整理する場面も出てきます。以前は曖昧な状態でも許容されていた領域が今後は明示化され、より厳しく問われることになるでしょう。収益の上がらない事業で苦戦するより、強みを発揮しやすい事業領域に移る方が活躍しやすくなるケースもあります。事業売却は決して悪い側面だけではなく、企業全体の成長機会につながる場合もあるのです。
経営者へのメッセージ:長期の視点を持つ
諸井 最後に、経営者や実務家に向けてメッセージをお願いします。
中野氏 一言で言えば、「自分たちが価値を生み出せる領域に集中する」ということに尽きます。ただし、それだけでは現在の事業を絞り込むだけになってしまいます。
したがって、時間軸を長く持ち、将来の成長のための種まきも同時に行う必要があります。
諸井 経営者の任期が短い中では、それを実践するのは難しい面もありますね。
中野氏 リーディングカンパニーほど社長候補が多く、4〜5年で交代することも珍しくありません。だからといって、任期中の成果だけを追求すると次の世代に何も残せなくなってしまいます。現在の主力事業で成果を出しながら、5年後、10年後の成長に向けて種をまく——この両方を同時に意識することが、経営者の仕事だと思います。
諸井 短期と長期、質と量、集中と育成。いくつもの緊張関係の中でバランスを取ることが経営者には求められますね。
中野氏 どちらか一方に振り切るのは簡単ですが、それでは持続的な価値創造は実現できません。資本コストを意識しつつも、それに過度に縛られず、企業価値経営という広い視点のもとで、自社にとっての最適解を模索し続けることが大切だと思います。
まとめ:経営者に求められるバランス
諸井 資本コスト経営の概念から実践上の課題、そして経営者に求められる視点まで、幅広くお話を伺いました。
資本コストを意識することで投資判断に規律が生まれる一方、それだけに縛られると縮小均衡を招くというご指摘が印象的でした。「質×量」の視点で企業価値を捉え、長期の視点で新たな事業への投資も続けていく。その緊張関係の中でバランスを取ることが、これからの経営に求められていると受け止めました。
中野氏 資本コスト経営はあくまでツールです。重要なのは、それを自社の実情に合わせてどう活用するかです。
自社の状況を最もよく理解している経営者自身が考え抜き、判断を下すことが何より大切だと思います。
※前編も併せてお読みください。
【一橋大学大学院・中野教授に聞く】「資本コスト経営」が目指すものとは何か | 前編:資本コスト経営の本質を問う
諸井 伸吾 対談後記
今回の対談を通じて改めて感じたのは、企業価値経営は理論ではなく、成長性と利益率という本質を経営と現場が同じ言葉で語れるかどうかにかかっているということです。
数字を“説明資料”で終わらせず、“行動”につなげられるか。その実装力こそが、私たちがお客様に提供すべき価値なのだと再認識しました。
