投稿日:2026.05.11
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企業価値向上

グループ経営管理

インタビュー

連載「資本コスト経営と向き合う」

【東京大学大学院・柳川教授に聞く】企業価値と資本市場 | 後編:企業価値を高める投資と意思決定

経済政策や制度設計を専門とする東京大学大学院 教授の柳川範之氏に、アバントグループCSO兼アバントCFOの諸井伸吾が実務家の視点からお話を伺います。
前編では、企業価値や資本コストが注目される背景について整理しました。資本市場の役割が拡大する中で、企業は外部への情報開示だけでなく、内部の経営管理としても企業価値の可視化・向上に取り組む必要性が高まっているという指摘がありました。
後編では、「資本コスト経営は企業価値向上にどのように寄与するのか」という問いを起点に、企業が取り組むべき投資のあり方、そしてテクノロジーの進化が経営にもたらす変化について伺います。

「資本コスト経営」は企業価値向上につながるのか

アバント・諸井 まず、資本コストという考え方が企業価値向上に本当に寄与するのかについてお聞きしたいと思います。
「企業価値」は意味が広く、実務では「資本コスト経営」で整理されることもありますが、その定義には曖昧さも残っていると感じます。資本コストを上回れば十分なのか、それともスプレッドの拡大まで追うべきなのか。この点を含め、資本コスト経営と企業価値向上の関係をどう捉えるべきでしょうか。

柳川氏 まず、資本コストという考え方を経営指標の一つとして取り入れること自体には、十分な意味があると思います。というのも、資本コストは企業の側から見ればコストですが、株主側から見れば期待するリターンだからです。つまり、他の投資先と比べて見劣りしないリターンを投資家に返す必要があるということです。
経済学的には、投資家には外部の投資機会、つまりアウトサイドオプションがあります。そこより期待収益が低いと判断されれば、資金はそちらに流れてしまいます。

諸井 一方、資本コストを上回っている企業にとっては、その先の段階としてどこまでスプレッドの拡大を追求するべきかという議論も生じます。

柳川氏 これは重要な論点です。資本コストというのは、本来は「最低限満たすべきリターンの水準」として考えるべきものだと思います。ただし、一定の基準を超えた後まで含めて「資本コスト経営」と呼ぶのが適切かというと、そこは少し微妙です。基準を超えた先まで拡大を追求する議論になると、むしろ「資本収益性を高める経営」と言った方が適切かもしれません。

諸井 そうすると、資本収益性をどのように捉えるかという点も重要になります。会計データから算出される指標と将来の期待収益率との間には、どうしてもギャップが生じる可能性がありますよね。本来は株価に反映されるはずの価値を、会計指標だけで捉えようとすることの限界もあるのではないでしょうか。

柳川氏 おっしゃる通りで、ROEやPBR、PERといった指標は、あくまで会計情報から見える代理変数にすぎず、将来の価値を完全に表しているわけではありません。

ただし、現時点で見える数字を改善していくことは不可欠です。足元の数字が一定水準に達していなければ、投資家に十分なリターンを返せる企業だと評価されにくいためです。

一方で、企業価値向上を長い目で考えたときには、株主還元を厚くすることだけが正解とは限りません。例えば、自社株買いは短期的な株式価値にはプラスですが、もし有望な投資機会があるなら、その資金を成長投資に振り向けて将来の価値を2倍、3倍にしていく方が本来は株主にとっても望ましいわけです。

本質的に重要なのは、長期的な企業価値につながる経営を行い、その考え方を株主にも納得してもらうことだと思います。

柳川 範之氏
1963年埼玉県生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。東京大学大学院経済学研究科准教授等を経て、東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授。著書に『法と企業行動の経済分析』『東大教授が教える独学勉強法』などがある。

短期的な株式価値と長期的な企業価値のジレンマ

諸井 伸吾
コンサルティングファーム、ファンド、事業会社での経営企画や事業本部長、COOを経験し、2022年4月より企業経営に役立つ情報システムを探求し続けてきたアバントグループに参画。現在はアバントグループCSO/IR室長、アバントCFO/取締役として戦略実現に取り組む。

諸井 実務の現場で悩ましいのは、短期的な株価や株主還元と、長期的な企業価値向上のための投資をどう両立させるかという点です。

現実には、投資家の多くは顧客から資金を預かり、一定期間の中で成果を出すことを求められています。企業としては長期的な投資を考えたい一方、投資家側は比較的短い期間で成果を見ようとする——こうした時間感覚のずれは生じやすいのではないかと感じます。

企業としては、どのような時間軸で投資や経営を考えるべきなのでしょうか。

柳川氏 本来は、投資家の時間軸が短いからといって、企業までそれに引きずられて短期志向になる必要はないと思います。極端な例で言えば、今の投資家の保有期間が短くても、将来価値が確実に見込まれる投資であれば、次の投資家に評価され高値で売却できると期待でき、資金は集まります。

もちろん現実にはそこまで単純ではありません。投資期間が長くなればなるほど不確実性は高まりますし、「今は収益が出ないが、将来は大きく伸びる」という説明だけでは、投資家を納得させることは難しいでしょう。

だからこそ重要なのは、企業が長期の戦略を明確に示すことです。10年後にどういった会社を目指しているのか、そのために今どのような投資を行い、どのような道筋で価値を高めていくのか。そうしたストーリーや投資計画、あるいはパーパスを含めて、投資家が「この会社なら将来の価値が見込める」と納得できる形で示していく必要があります。

企業価値と株価は一致するのか

諸井 「企業価値」と「時価総額(株価)」は必ずしも同じではないという見方があります。一方で、長期的な戦略や成長ストーリーに対して投資家が合理性を見出し、将来価値への期待を持てていれば、それが株価にも反映されていくはずだという考え方もあります。
企業価値と株価は別物なのか、それとも最終的には一致していくものなのか。柳川先生はこの点をどのように整理されていますか。

柳川氏 理屈の上では、株式市場で評価されている株価と、企業の本質的な価値が一致しないケースはあり得ると思います。
例えば、企業の中にまだ市場に十分理解されていない技術や事業の可能性がある場合、理論的には市場価格より高い企業価値が存在することもあり得ます。逆に、過度に期待が織り込まれて株価が実態より高くなることもあるでしょう。
ただし、実務的に考えると、「自社には市場が評価していない価値が本当はある」と言い続けることにはあまり意味がないとも思います。もし本当に価値があるのであれば、それを発信し、市場に理解してもらう努力をしなければなりません。

諸井 では、DCF法などで算定した企業価値と実際の時価総額が乖離している場合、企業側の戦略や計画がマーケットに十分に伝わっていないということなのでしょうか。それとも、前提としている見通し自体に課題があると考えるべきなのでしょうか。

柳川氏 DCF法などで算定した企業価値と実際の株価は必ずしも一致しないという前提で考える必要があります。それらは限られた情報に基づく一つの推計にすぎず、実際の株価は、投資家それぞれの将来見通しや情報の解釈の違いが反映されて形成されます。株価は単なる計算結果ではなく、市場参加者の期待や見立てが織り込まれた価格だと言えるでしょう。
したがって、DCF法のようなモデルは参考にしつつも、それだけで企業価値を捉えるのではなく、市場でどのように評価されるかも含めて考えていく必要があります。

企業価値向上に向けた投資と意思決定

企業が取り組むべき投資

諸井 ここまで企業価値や資本市場との関係について伺ってきましたが、改めて企業が企業価値向上に向けて何に取り組むべきかをお聞きしたいと思います。

柳川氏 基本的には、将来の企業価値向上につながる投資を着実に行っていくことに尽きます。具体的には、設備投資や研究開発投資、そして人的資本への投資です。
特に重要なのは、無形資産への投資でしょう。こうした投資は会計上の指標には直接表れにくく、その価値を説明することが難しいため、どうしても慎重になりがちです。
特に無形資産への投資は相対的に細りがちで、それが結果として長期的な企業価値の説明を難しくしている側面もあります。しかし長期的な企業価値を考えれば、こうした投資こそが重要な意味を持つはずです。

諸井 一方で、人的資本投資のようにリターンの実現までに時間を要する投資については、「なぜ今行うべきか」を社内で説明することが難しい場面も多いと感じます。こうした長期投資について、社内の意思決定を進めるためには、どのように整理していくことが有効なのでしょうか。

柳川氏 重要なのは、投資のストーリーと仮説を組み立てることです。
例えば人的資本への投資であれば、その人材がどのような価値創出につながるのかというシナリオを描く必要があります。会計上すぐに表れない投資であっても、企業内部ではそうしたシナリオを持っているはずです。

そうしたストーリーを一定の試算と組み合わせて整理し、「なぜこの投資が将来の価値につながるのか」を説明していくことが重要です。こうした取り組みが、社内での意思決定の納得性を高めると同時に、マーケットの理解を得ることにもつながるのではないかと思います。

不確実な投資をどう意思決定するか

諸井 そうしたストーリーや仮説の重要性は理解できても、実務では不確実性が高い中で、どこまで仮説とデータに依拠して意思決定すべきか、判断に迷う場面も多いと感じます。例えば、人的資本投資や新規事業への投資などは、将来のリターンを明確に示しきれないケースも少なくありません。
こうした状況において、企業はどのような考え方で意思決定を行うべきなのでしょうか。

柳川氏 まず前提として、将来の投資のリターンを正確に予測することはできません。どの投資にも必ず不確実性があります。ただ、その不確実性を理由に意思決定を避けることはできません。経営とは本来、不確実な未来に対して判断を下していくものだからです。

諸井 おっしゃる通りで、不確実性があるからといって判断を先送りにしてしまうわけにはいきません。

柳川氏 重要なのは、完璧な数字を作ることではなく、できる限りデータを整理し、仮説を立て、どのような経路で価値につながるのかを考えることです。
人的資本や研究開発への投資についても、それがどのような市場機会を生み、どの程度の価値創出につながるのかを想定しながら、一定の試算やシミュレーションを行って判断していく必要があります。

諸井 つまり、完全な予測はできなくても、仮説とデータを組み合わせて意思決定の精度を高めていく必要があるということですね。

柳川氏 その通りです。もちろん、その試算は完全なものにはなりません。しかし、だからといって数値化を諦めてしまえば、結局は勘や感覚だけで意思決定をすることになってしまいます。

もう一つ重要なのは、「投資をしない」という選択もまた一つの意思決定だということです。例えば「数字で説明できないから投資はしない」と判断した場合、それは「投資しない」という決断をしていることになります。その判断にも、本来は同じように合理的な根拠が求められるはずです。
ですから、データが不十分だから判断できないという発想ではなく、不完全な情報の中でもできる限りの分析を行い、そのうえでより良い判断をしていくことが重要です。
そうした積み重ねが、長期的な企業価値の向上につながっていくのだと思います。

テクノロジーの進化と経営の構造変革

諸井 ここまで企業価値向上に向けた投資や意思決定について伺ってきました。最後に、生成AIをはじめとするテクノロジーの進化が、経営の意思決定にどのような変化をもたらすのかについてお聞きしたいと思います。

柳川氏 経営の意思決定のあり方そのものが、大きく変わる可能性があると思います。これまで外部のサービスやシステムに依存していた情報取得や分析の一部は、生成AIによって代替される動きも見られます。ただ、それ以上に重要なのは、意思決定のプロセスや判断の仕方そのものが変わり得るという点です。そうなると、組織における役割分担や意思決定の構造自体にも影響が及んでいくでしょう。

諸井 一方で、日本企業はそうした変化に対応できるのでしょうか。現実には、意思決定のプロセス自体を大きく変えるのは簡単ではないようにも感じます。

柳川氏 おっしゃる通りで、特に歴史のある組織ほど、意思決定の仕組みを簡単には変えられません。テクノロジーの進化によって意思決定プロセスを効率化する余地は大きいものの、日本企業では従来の仕組みが残りやすく、大きな変化にはつながりにくい傾向があります。ただ、こうした構造を変えられた企業は、意思決定のスピードや経営パフォーマンスの面で優位に立つ可能性があります。

諸井 人材の在り方という観点でも変化がありそうですね。分析の多くをAIが担うようになると、判断を担う人材と、データ整備や品質管理を担う人材に分かれ、中間的なポジションの付加価値が相対的に下がっていく可能性もあるのではないかと感じています。こうした人材の変化については、どのようにお考えでしょうか。

柳川氏 その可能性は高いと思います。判断を伴う領域は引き続き人が担う一方で、定型的な作業や分析はAIが代替していく。結果として、人材の役割は大きく変化していくでしょう。

ただし、日米で見ると、その変化の現れ方には差があります。アメリカでは比較的迅速に人員構成を見直す動きが見られますが、日本企業では同様の変化が起こりにくいのが現状です。その背景には、職務範囲が明確なジョブ型の組織と、役割が相互に重なり合う日本型組織との違いがあります。後者では、一部の業務だけを切り出して置き換えることが難しく、変化のスピードが抑制されやすいのです。

諸井 そうした違いは、日本人のマインドセットによるものなのでしょうか。

柳川氏 必ずしもそうとは思いません。日本の雇用や組織のあり方も、これまで変化してきましたし、今後も変わり得るものです。問題は、その変化がいつ起きるかという点です。もしテクノロジーを活用して意思決定の質とスピードを高めた企業と、そうでない企業の間で差が広がれば、企業間の競争力にも大きな影響が出てくるでしょう。
テクノロジーへの適応力が、企業間のパフォーマンスの差につながっていく可能性があると思います。

まとめ:企業価値向上に取り組む企業へ

諸井 資本コストを起点とした企業価値の捉え方から、投資判断やテクノロジーの影響まで、企業価値向上に向けた重要な論点が整理されました。短期と長期のバランスを取りながら、自社としてどのような価値創造を目指すのかを明確に示していくことが、これからの経営において一層重要になると感じました。

柳川氏 企業価値の向上というのは、一つの制度や指標に対応すれば実現できるものではありません。

資本コストという考え方も、あくまで企業価値を考えるための一つの視点に過ぎません。大切なのは、外部環境の変化を踏まえながら自社の強みをどこに置くのか、そしてどのような投資によって将来の価値を高めていくのかを継続的に考え続けることです。

短期的な株式価値と長期的な企業価値のバランスを取りながら、投資と還元の最適な組み合わせを模索していく。その積み重ねが、結果として持続的な企業価値の創造につながっていくのだと思います。

※前編も併せてお読みください。
【東京大学大学院・柳川教授に聞く】企業価値と資本市場 | 前編:資本市場と企業経営の関係を読み解く

諸井 伸吾 対談後記

今回の対談は、私にとって特別な機会でした。柳川先生は、大学時代にゼミでご指導いただいた恩師でもあります。
対談では、「資本コスト経営とは何を指すのか」といった点まで踏み込んで問い返され、思わず冷汗が出る場面もありましたが、あらためて概念の整理の重要性を実感しました。中でも「投資しないことも意思決定である」という言葉は強く印象に残っています。さすが先生だと感じる瞬間でした。
企業価値の向上は、制度や指標への対応にとどまらず、将来に向けた投資と意思決定の積み重ねによって実現されるものです。本対談が、その本質を考える一助となれば幸いです。

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