【東京大学大学院・柳川教授に聞く】企業価値と資本市場 | 前編:資本市場と企業経営の関係を読み解く
近年、企業価値を意識した経営や「資本コスト」という言葉が、企業経営の中で強く意識されるようになっています。東証の市場再編やコーポレートガバナンス改革が進む中、企業経営における資本市場の位置づけはこれまで以上に重要になっています。
本記事では、経済政策や制度設計を専門とする東京大学大学院 教授の柳川範之氏に、アバントグループCSO兼アバントCFOの諸井伸吾が実務家の視点からお話を伺います。
前編では、企業価値や資本コストが改めて注目されている背景、資本市場との向き合い方、東証改革の狙いについてお聞きします。
※後編も併せてお読みください。
【東京大学大学院・柳川教授に聞く】企業価値と資本市場 | 後編:企業価値を高める投資と意思決定
企業価値をめぐる環境の変化
アバント・諸井 近年、「企業価値」や「資本コスト」という言葉が、企業経営においてこれまで以上に重要なテーマになっていると感じます。直接的な契機としては東証の要請が大きいと思いますが、その背景を柳川先生はどのようにご覧になっていますか。
柳川氏 会社をつくりマネージしていくという観点からすると、組織が良い形で拡大し成長していくことは、非常に重要なテーマです。そういった意味では「企業価値」という言葉をどう定義するかは別としても、価値を高めていくことの重要性そのものは昔も今も変わっていないと思います。
一方で、大きく変わってきたのは資本市場の役割です。企業経営において、資本市場の存在が以前よりも重要になってきていると感じます。
諸井 具体的にはどのような変化が起きているのでしょうか。
柳川氏 マーケット参加者に対して、「どのような情報を発信していくのか」という重要性が以前よりも格段に高まっています。投資家も以前に比べて、開示された指標を基に投資判断を行うようになっています。そのため企業としては、現在の経営状況や、将来どのような投資や事業活動を考えているのかを、情報開示を通じて投資家に伝えていくことが重要になります。
その中で求められるのは、「企業価値が現在どのような状態にあり、それを今後どう伸ばしていくのか」を示すことです。言い換えれば、株主が保有する価値の現状と将来の変化を説明していくことが、マーケット参加者への情報発信として重要になってきているのです。
諸井 コスト構造の可視化という観点も含まれますね。
柳川氏 そうですね。もちろん会計上の費用としてのコストも重要ですが、それに加えて「資本コストの観点から企業活動をどう見るか」という視点も非常に重要になってきています。
企業がどのように付加価値を生み出しているのか、それを要素分解し、どのような構造で価値が創出されていくのかを示していくことも、これまで以上に求められるようになっています。
諸井 外部の投資家向けの情報発信という観点だけでなく、経営管理においても同様のことが言えるでしょうか。
柳川氏 そうですね。今申し上げたのは投資家向けの観点ですが、経営という意味でも同じことが言えます。管理会計の視点も含めて、こうした指標をきちんと把握していくことがマネジメントのあり方としてより重要になってきていると思います。

柳川 範之氏
1963年埼玉県生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。東京大学大学院経済学研究科准教授等を経て、東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授。著書に『法と企業行動の経済分析』『東大教授が教える独学勉強法』などがある。
企業が資本市場と向き合う必要性とは

諸井 伸吾
コンサルティングファーム、ファンド、事業会社での経営企画や事業本部長、COOを経験し、2022年4月より企業経営に役立つ情報システムを探求し続けてきたアバントグループに参画。現在はアバントグループCSO/IR室長、アバントCFO/取締役として戦略実現に取り組む。
諸井 情報発信の重要性は理解できますが、一方で企業の立場からすると、株式市場から頻繁に資金調達を行っているわけではありません。上場時を除けば、基本的には投資家同士の取引であり、企業に直接資金が入るわけではないケースが多いと思います。
そうした中で、企業として資本市場と向き合う必要性をどのように理解すべきでしょうか。
柳川氏 上場企業が資本市場と向き合う理由として、最も直接的なのは資金調達の必要性があった場合です。将来増資が必要になった際、市場からの信頼がなければ資金を集めることはできません。
諸井 昨今では、アクティビストの台頭や望まないM&Aへの備えといった観点からも、資本市場との向き合い方がこれまで以上に問われる場面が増えているように感じます。
柳川氏 そうですね、M&Aという観点でも重要な意味を持ちます。
株価が大きく下がれば、それだけ買収の対象となる可能性が高まります。望まない買収を避け、経営の自律性や独立性を維持するためには、一定水準の株価を維持していく必要があります。
さらに、株主総会で経営方針が否認されるリスクもあります。上場企業においては、社内の論理だけで経営者が選ばれ承認される時代ではなくなってきています。そういった意味でも、株主との関係を意識した経営を行う必要が出てきていると言えるでしょう。
東証改革の狙いと日本市場の構造的課題
諸井 昨今の東証の動きを見ていると、日本の上場企業は多すぎるのではないか、小規模な企業はもう少し絞り込んでもよいのではないか、という方向性も感じます。
東証は日本経済全体の視点を持つ存在でもあると思いますが、こうした動きはどのように捉えればよいのでしょうか。
柳川氏 結果として絞り込んでいるように見える面はあるかもしれませんが、本来の目的はそこではないと思います。東証が追求するのは、投資家にとって魅力的なマーケットをつくることです。例えば、上場時は小さな企業であっても、その後大きく成長していくのであれば、投資家にとっては魅力的な投資先となります。本来グロース市場などは「小さく産んで大きく育てる」ことを前提にした市場のはずです。
ところが日本の場合、上場後も企業規模が小さいままにとどまってしまうケースが少なくありません。そうなると、グロース市場として期待されたほどの成果が出ていないのではないか、という見方も出てきます。そうした状況を踏まえて、より成長性の高い企業や、ある程度規模のある企業を市場に集めていこうという考え方が出てきているのだと思います。
諸井 市場を小さくしたいというよりも、投資家にとってより魅力的な市場をつくり、マーケット全体の成長につなげていくための戦略ということですね。
柳川氏 おっしゃる通りです。本来、複数の市場が存在して、それぞれが特色を出しながら魅力を競い合うような構造になっている方が、全体として望ましいと思います。
例えばアメリカでは、ナスダック証券取引所やニューヨーク証券取引所がそれぞれ特徴を打ち出しながら競い合っています。もちろん両者の違いがどこまで大きいのかという議論はありますが、それでも市場ごとに特色を出し合う構造にはなっています。
一方、日本の場合は、実質的に証券取引所は東証が中心です。そうなると、東証は日本の市場全体としてどういう姿を目指すべきか、という議論になりやすいわけです。
本来であれば、それぞれが特色を出しながら競争していくような環境がもう少しあった方が理想的なのではないかと思います。
諸井 それでも、少し前は取引所や市場ごとの棲み分けを意識した動きもありましたが、あまりうまくいかなかった印象がありますね。
プライム市場への志向が強い現状については、どうお考えですか。
柳川氏 実際には東証という一つの主体の中で区分を設けている形なので、完全な意味での競争とは違いますが、市場のカテゴリーを分けていくという流れ自体は今後も続いていくと思います。ただ、その背景には東証の問題というより、日本人のマインドの問題もあるのかもしれません。本来は序列の関係ではないはずですが、「プライムを維持できなければ格が下がる」といった受け止め方をする企業も少なくありません。
プライム市場を目指すことが、結果としてコーポレートガバナンス改革の推進力になっている面はありますが、本来の趣旨からすれば、多様なカテゴリーがあってもよいのではないかと思います。
コーポレートガバナンス改革が目指すものとは
諸井 ここまで市場制度の話を伺ってきましたが、日本ではこの10年ほどで、コーポレートガバナンス改革も大きなテーマになってきました。この改革の本質的な目的はどこにあるとお考えでしょうか。
柳川氏 大きく言えば二つあると思います。一つは、日本経済をより活性化することです。その一つの側面として、投資家に評価される体制を整え、投資を呼び込むという狙いがあります。
もう一つは、社内のガバナンスを強化することで、企業活動そのものを活性化させることです。投資家への対応という側面だけでなく、企業内部の経営の質を高めていくという意味でも、コーポレートガバナンス改革は有効と考えられているのだと思います。
諸井 投資家対応という側面だけでなく、企業の経営をより健全にしていくための改革でもあるということですね。
後編では、「資本コスト経営は企業価値向上にどのように寄与するのか」という問いを起点に、短期的な株価と長期的な企業価値をどう両立させるのか、企業が取り組むべき投資のあり方、そしてテクノロジーの進化がもたらす経営変革の可能性について、お話を伺います。
※後編も併せてお読みください。
【東京大学大学院・柳川教授に聞く】企業価値と資本市場 | 後編:企業価値を高める投資と意思決定
