【明治ホールディングス・IR部長に聞く】「明治ROESG経営」の目指すものとは | 後編:ROICの実践課題と投資家との対話
明治ホールディングス株式会社(以下、明治ホールディングス)IR部長の田中正司氏に、アバントグループCSO兼アバントCFOの諸井伸吾が、実務家の視点からお話を伺います。前編では、明治ホールディングスが独自の経営指標として「明治ROESG®※」を導入した背景や、組織に浸透させるための取り組みについて伺いました。「稼ぐ力」と「持続的成長」を同時に高める指標の設計に加え、サステナビリティ推進体制の再編や現場の意識変革など、具体的な取り組みについても詳しくお聞きしました。
後編では、特性の異なる事業を多数展開されている中でのROIC運用や、投資判断における財務規律、投資家への明治ROESGの伝え方、今後の成長戦略について詳しく伺います。
■ 前編も併せてお読みください。
【明治ホールディングス・IR部長に聞く】「明治ROESG経営」の目指すものとは | 前編:ROESGの本質と組織浸透の効果
※ 「ROESG」は一橋大学教授・伊藤邦雄氏が開発した経営指標で、同氏の商標です。
事業別ROICを考える上での工夫
アバント・諸井 明治ホールディングスでは、菓子、乳業、医薬品など、特性の異なる事業を多数展開されています。ROICの運用において、事業ごとの管理で工夫されている点があればお聞かせください。
田中氏 ROICツリーの中で、最もレバレッジが効くポイントは事業ごとに異なりますので、管理には工夫が必要です。たとえば菓子事業は在庫型のビジネスのため、在庫回転の短縮がROIC改善に向けた重要施策になり得ます。
一方、牛乳やヨーグルトのような日配品は賞味期限が短く、原材料在庫も少ないため、在庫金額という概念自体がほぼ当てはまりません。
このように、事業の需要特性に応じて管理の重点を柔軟に変更することを基本的な方針としています。
諸井 あらゆる事業に対して画一的な指標管理を持ち込むのではなく、事業別で最適なKPIを選択しているということですね。特にこの数年、原材料価格の変動が非常に大きかったと思います。この影響はいかがでしたか。
田中氏 菓子事業の原材料として重要なカカオのボラティリティは、異常と呼んでも差し支えのない水準でした。15年以上ほぼ同レンジで推移していた相場が、西アフリカにおける収穫量減少と投機資金の流入が重なり、爆発的な急騰を招いたのです。
これをROICで評価すると「数量ベースでは半減したにもかかわらず在庫金額は不変」などと矛盾した状態が生じます。しかしROICの悪化を理由に原材料の調達を中止する判断は現実的ではありません。
したがって、事業継続を優先しつつ、他の要素で改善可能なポイントを探すことが重要です。

田中 正司氏
明治ホールディングス株式会社 IR部長
1995年、明治製菓株式会社に入社。支店での菓子営業を経て、本社にて菓子事業の流通政策や商品政策、収支管理などを担当。2017年より明治ホールディングスに移りIRを担当。
ホールディングスと事業会社による投資判断の規律

諸井 伸吾
コンサルティングファーム、ファンド、事業会社での経営企画や事業本部長、COOを経験し、2022年4月より企業経営に役立つ情報システムを探求し続けてきたアバントグループに参画。現在はアバントグループCSO/IR室長、アバントCFO/取締役として戦略実現に取り組む。
諸井 ROIC管理の枠組みを持ちながらも、想定外の外部環境に対しては柔軟に対応しているということですね。投資判断における財務規律に関しては、どのように設計されていますか。
田中氏 事業の種別や、国内・海外、投資先の地域などに応じてハードルレートを事前に設定しています。案件ごとの事情を考慮しすぎると判断がぶれてしまうため、基本的には決められたフォーミュラに基づいて計算します。
この係数を見直す際は、中期経営計画のサイクルに合わせて行いますが、金利環境に大きな変化があった場合は臨時対応も検討します。
投資評価においてはIRR(内部収益率)も活用しますが、あくまで回収期間を主要な判断基準としています。こうした基準により財務規律は十分に担保できていると考えています。
諸井 ホールディングスと事業会社の関係性はいかがですか。
田中氏 基本的にはアクセルを踏むのは事業会社で、ホールディングスは必要に応じてブレーキをかける立場です。場面によって役割が入れ替わる可能性もありますが、健全な緊張関係は保つことができていると思います。
事業ポートフォリオの見直しも含め、全社的なROICの目標水準に達しない事業については、入れ替えの検討も視野に入れる必要があります。ただし、一律に切り離すことを目的としているのではありません。
たとえば、牛乳のように決して利益率が高いわけではないものの、公益性の観点から継続が求められる事業もあり、そうした見極めが重要です。
投資家との対話では「明治ROESG」をどのように伝えるか
諸井 ここからは投資家との対話についてお聞きします。明治ROESGのような独自指標を分かりやすく説明するのは大変ではありませんか。
田中氏 ROESGを掲げている企業は他にほとんどないため、投資家にそのまま提示しても「伝わりにくい」のが正直なところです。
ROEは短期的な「稼ぐ力」を示す一方、ESGは長期的な取り組みを示します。ただ、時間軸の異なる二つを掛け合わせていることから誤解を受けやすく「ESGの取り組みによってROEがすぐ上昇するように見えてしまう」というご意見をいただくこともあります。
諸井 投資家との対話に際して、どのような工夫をされているのでしょうか。
田中氏 昨今は「PBRの向上」に資するフレームワークとして説明するように心がけています。ROEは稼ぐ力としてPBRの土台となり、ESGの取り組みはリスク低減や将来の成長期待につながるため、PERの改善にも寄与します。こうした考え方を当社のCFOメッセージとあわせて示すことで、投資家から一定のご理解を得られるようになったと手応えを感じています。
諸井 投資家はどういった点に関心を向けているとお考えですか。
田中氏 やはり成長戦略に対する関心が強いですね。既存事業の拡大に加え、新たな成長ドライバーへの期待も大きいと感じています。
こうした声に応える形で、従来開催してきたESGミーティングに代えて「Meiji Innovation Day」を開催し、ウェルネスサイエンスラボの研究内容や新事業の可能性を投資家に向けて発信する機会を設けました。
諸井 具体的にはどのような内容を発信されたのでしょうか。
田中氏 キーワードは「菌」です。食品分野では乳酸菌やビフィズス菌、医薬品分野では抗菌薬のトップシェアを有するなど、明治グループは菌に関する深い知見を持ち、研究者も多く在籍しています。
次期ビジョンにおける新事業候補として、R-1乳酸菌が作り出す多糖体が免疫チェックポイント阻害剤の効果を高める可能性があるという研究結果を紹介し、食品と医薬品の境界を超えた事業展開の方向性を示しました。
食品と医薬品を同時に手掛ける意味については、海外投資家を中心によく質問をいただきますが、菌という共通基盤の上に両者のシナジーがあることを強調して伝えることが重要だと考えています。
まとめ:資本コスト経営に取り組む企業へのメッセージ
諸井 事業特性に応じた柔軟なROIC運用や投資判断の規律、独自指標の魅力や優位性を投資家に伝える工夫など、最前線での実践についてお聞きしました。
最後に、資本コスト経営に取り組む企業やIR担当者へのメッセージをお願いします。
田中氏 東証の要請やアクティビストの動きが注目されがちですが、外部からの指摘は自社をより良くするための前向きな声だと捉え、向き合っていくことが大切だと思います。当社もまだ挑戦の途上です。
諸井 田中さんのお話からは、一方的に独自指標を示すのではなく、投資家と対話を重ねる中で、より意図が伝わるよう柔軟な進化を続けてきた様子がうかがえました。
田中氏 しっかりと利益を稼ぎつつ、社会から認められる企業であり続ければ、企業価値は自ずと高まり、結果としてPBRやTSRといった指標もついてくると考えています。
諸井 本日はありがとうございました。資本コスト経営を実践的に進化させる取り組みをお聞きできました。課題に真摯に向き合い、 指標設計から組織体制の見直し、現場の意識改革に至るまで一貫して取り組んでこられた姿勢は、多くの企業にとって参考になるものだと感じました。
■ 前編も併せてお読みください。
【明治ホールディングス・IR部長に聞く】「明治ROESG経営」の目指すものとは | 前編:ROESGの本質と組織浸透の効果
諸井 伸吾 対談後記
今回の対談を通じて印象的だったのは、指標そのものではなく、それをどう使うかという姿勢でした。
ROICやROESGは目的ではなく、価値創造を理解し、伝えるための手段に過ぎません。重要なのは、それを意思決定と対話に接続できるかどうかだと感じました。
