【早稲田大学・鈴木一功教授に聞く】企業価値評価を経営判断に活かす実践手法
企業を取り巻く経営環境が激しく変化する中、「企業価値」への関心が経営層の間で急速に高まっています。
その背景には、東京証券取引所からの要請やアクティビストの台頭といった外部環境の変化がありますが、多くの企業は自社の「理論価値」を正しく理解し、経営判断に活かすことに課題を抱えています。
そこで今回は、早稲田大学ビジネススクール教授の鈴木一功(すずき かずのり)氏にインタビューを実施。企業価値評価を経営の中核に据え、戦略的な意思決定に活かすための具体的な実践手法について伺いました。
※企業価値については、下記をご参照ください。
企業価値とは?役割や評価方法、企業価値を高めるメリットを解説
鈴木 一功氏
早稲田大学 大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授
東京大学法学部卒業。富士銀行(現みずほ銀行)入社。INSEADよりMBA取得。
ロンドン大学よりPh.D.(Finance)を取得。中央大学教授等を経て、2012年より現職。「証券アナリストジャーナル」編集委員、みずほ銀行、AGSコンサルティング等の企業価値評価外部アドバイザーも務める。2023~2024年は、London Business School客員教授として赴任。主要著書に『企業価値評価(入門編)』、『企業価値評価(実践編)』(いずれもダイヤモンド社)、『企業価値評価の理論と実務』(共著、日本経済新聞出版)などがある。
なぜ今、企業価値評価への関心が高まっているのか?
2020年代以降、日本企業を取り巻く経営環境は急速に変化しています。東京証券取引所によるPBR1倍割れ企業への改善要請、アクティビストの台頭、同意なき買収の増加などの動きによって、経営層が「企業価値とは何か」を問い直している状況だといえるでしょう。
鈴木氏は、こうした状況を冷静に分析します。
「企業価値評価への関心は確実に高まっています。経営者にとって株価は“結果”であると同時に、自社の信頼度や将来期待の表れでもあります。自社の理論的な企業価値が、最終的には株価に反映される、という認識を持たざるを得ない環境になっているのです」
単に株価を上げること自体を目的化してしまうと、短期的な利益追求に陥りかねません。
真に重要なのは、自社の理論的な企業価値を把握し、その価値と市場評価(株価)の間にあるギャップをどう埋めていくかを考えることだと、鈴木氏は強調します。
「理論的に自社の価値を計算することはできます。理論価値と実際の株価とのギャップを把握し、その差をどう埋めていくかを考えることが経営者の役割です。短期的な株価変動に一喜一憂するのではなく、自社の理論価値(実力)をどう引き上げるかという視点が欠かせません」
P/L偏重経営のままでは、価値創造の全体像を捉えきれません。財務諸表に表れないブランド、人的資本、研究開発力、ガバナンスが中長期の価値を左右する時代になっているのです。投資家との対話でも、非財務情報を含めた「価値の構造」を語れなければ、説得力がなくなってしまいます。
「株価は結果です。だからこそ、企業価値評価を通じて“何をすれば結果が変わるのか”を見極める必要があるのです」と鈴木氏は語ります。
企業価値評価を経営戦略に活かす実践手法
では、理論的な企業価値をどのように算出し、経営判断に活用すべきなのでしょうか。
企業価値評価のアプローチは、インカムアプローチ、マーケットアプローチ、コストアプローチの三つに大別されます。
中でも、経営判断と最も親和性が高いのが、インカムアプローチの代表的手法である「ディスカウント・キャッシュフロー法(DCF法)」です。DCF法は、将来生み出されるキャッシュフローを現在価値に割り引いて企業価値を算出する手法です。
「DCF法は、将来の業績見通しをキャッシュフローに落とし込み、企業価値を理論的に算出する手法です。例えば利益率を1%改善したら企業価値がどれほど変化するのか、そうした感応度を可視化できる点が特徴です」
DCFモデルを社内に構築することで、事業戦略と資本政策を数字でつなぐことが可能になります。モデルを構築して、売上成長率・粗利率・販管費率・投下資本回転率・設備投資などを変動要素として設定すれば、シナリオ分析を手軽に行えます。
「DCFモデルを一から作るのは大変ですが、本やインターネット上で公開されている既存モデルを活用すれば、効率的に導入できます。重要なのは構造を理解すること。計算式を知るだけでは不十分で、何を動かせば価値がどう変化するのかを理解する必要があります」
鈴木氏は、モデル構築の責任者を明確に置くことを勧めます。
「重要なのは、社内でモデルを“理解して動かせる人”を育てることです。最初は大変でも、一人を専任で立て、時間をかけて学ぶことで再現性のある経営基盤が作れます」
モデルを活用する場面として、最も効果を発揮するのが中期経営計画の策定です。
「中期経営計画で掲げた数値計画をDCFモデルに入れると、計画が理論的にどの程度の理論株価につながるのかが見えてきます。経営陣が“この施策でどれだけ企業価値を押し上げられるのか”を共通言語で議論できるようになるのです」
さらに、ROE(自己資本利益率)ではなくROIC(投下資本利益率)を重視すべきだと鈴木氏は強調します。
「ROEは借入比率を上げれば改善できるなど、見かけ上の操作が可能です。ROICは営業利益ベースの指標で、事業単位の本質的な稼ぐ力を映します。資本効率と収益性を一体で見られる点で、経営判断に直結します」
ROICを軸にした評価は、事業ポートフォリオ戦略や資本配分の最適化にも役立ちます。
どの事業に投資し、どの事業を縮小・撤退するか。経営の意思決定を“勘”ではなく“データ”で行えるのです。
※ROIC経営については、下記をご参照ください。
ROIC経営とは?PBRへの関心から再注目される背景やメリットを解説
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M&Aにおける企業価値評価と経営戦略の実務
M&Aにおいて企業価値評価は、買収価格の算定や投資判断の根拠として不可欠です。
対象企業の「スタンドアロン価値(単独の事業価値)」を算定し、そこに買収後のシナジー効果を加味して取得価格を決定します。
シナジーは、売上拡大、コスト削減、資本効率改善などに分類されます。買収後のシナジー効果について、鈴木氏は次の点を強調します。
「買収後の収益改善やシナジー効果をモデル上で検証し、どの程度の期間で価値に反映されるかを見極めることが大切です。例えば、新規出店による売上上乗せ、新商品の投入による利益寄与など、具体的な要因をモデル上で数値化することで、投資判断の妥当性を検証できます。
さらに、買収後のシミュレーションは単なる予測ではなく、実際の買収後の統合(PMI)過程において『最低限、これだけは達成したい』という業績目標にもなります」
また、スタートアップや新規事業のように不確実性の高いケースでは、複数シナリオを設定し、成功確率を加味して評価する方法も有効です。
「成功と失敗、それぞれのケースを設定し、発生確率を考慮した上で投資判断を行うべきです。特に新規事業は『立ち上がるかどうかすらよく分からない』、“当たり外れ”の要素が大きいため、こうした前提を数値で共有しておくことが重要です」
企業価値評価は、単に「いくらで買うか」を決めるための手法ではありません。
M&A後の成長シナリオを描き、どのように価値を高めていくかを明確にする経営ツールでもあるのです。
※企業価値評価については、下記をご参照ください。
M&Aに欠かせない企業価値評価とは?主要な算定手法と実務ポイントをわかりやすく解説
企業価値評価を経営に定着させるためのポイント
企業価値評価を経営に根付かせるには、経営層のリーダーシップと現場の理解が両輪となります。
「基本的に経営企画部や経営管理部が対応すると思いますが、モデル構築や運用は日常業務の延長ではできません。だからこそ、トップが『経営判断の基盤として必要だ』と明言しなければ、現場の優先度は上がりません」
また、財務データを集計するだけでなく、事業の価値構造を可視化し、経営陣と共有することが役割となります。
「経営者自身が、DCFモデルの構造を理解することが大切です。すべてを把握する必要はありませんが、“どの変数を動かせば企業価値がどう変わるのか”を理解していないと、経営判断に活かせません」
加えて、非財務資産の評価を経営の中に組み込むことも重要と鈴木氏は話します。
ブランド力や人材力などの無形資産は、投入した投資額と成果(離職率、ブランド認知度など)をKPIで結びつけることで、企業価値への影響を可視化できます。
「例えば、人的資本への投資の場合、どれくらい投資して、それが結果的にどれぐらい業績に貢献するかという数字化をしないと、価値として評価するのは難しいでしょう。最終的な企業価値は、将来のキャッシュフローに換算した結果で決まるのです」
さらに、定着のためには教育と対話の仕組みも欠かせません。
経営管理部門が中心となって、各事業部のマネージャーと定期的に“価値をどう動かすか”を議論する文化を育むことが、評価を“仕組み”に変える第一歩になります。
「現場を巻き込むには、難解な理論よりも“自分たちの行動が価値にどう影響するか”を実感できるようにすることが大切です」と鈴木氏は語ります。
企業価値評価は日常的な経営判断で必要なツール
現代の企業経営において、企業価値評価はM&Aの場面だけでなく、日常的な経営判断において必要なツールとなっています。
理論価値は経営の「地図」、株価は「現在地」を示すものです。変化の激しい市場環境において、自社の立ち位置を正確に把握することは、経営判断の精度を高める上で重要な要素となります。
鈴木氏は最後にこう語ります。
「企業価値評価は、数字を出すための手法ではなく、企業の未来を描くためのツールです。理論価値を理解し、経営に組み込むことができれば、短期的な株価変動に左右されない強い経営が実現します」
企業価値評価を経営の中核に据えること。それは、経営判断の“羅針盤”を持つことに他なりません。
数字の奥にあるストーリーを読み解き、企業の「在りたい姿」と「現実」の間にあるギャップを埋め続けることこそが、経営者の使命なのです。
■ 企業価値評価の取り組みを検討している方は、以下よりお気軽にお問い合わせください。
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