ROICは「計算」から「行動」へ。現場との対話で見えてきたROIC経営の成熟度モデルと、もう一つの選択肢
資本コスト経営に向き合う活動の一環として、これまで多くの企業の皆様とヒアリングやディスカッションを重ねてきました。
その対話を通じて見えてきたのは、ROIC経営の実践には明確な段階が存在すること、そして同時に、ROICという指標を前面に掲げないという、もう一つの有力なアプローチが存在するという事実です。
本稿で述べる二つの考え方は、優劣や進化の順序を示すものではありません。企業が置かれたフェーズやビジネスモデル、経営思想の違いによって選び取られる「異なる道筋」として整理しています。
今回は、実務の現場との対話から導き出された「ROIC経営の成熟度モデル(仮説)」と、そこから少し距離を取りながらも企業価値向上を実現する「結果としてのROIC経営」についてお話しします。
※前回の記事については、下記をご参照ください。
東証「課題解決に向けた企業の取組み事例集」から読み解く、「経営と現場」の新しい関係性
本稿の執筆者
諸井 伸吾
コンサルティングファーム、ファンド、事業会社での経営企画や事業本部長、COOを経験し、2022年4月より企業経営に役立つ情報システムを探求し続けてきたアバントグループに参画。
現在はアバントグループCSO/IR室長、アバントCFO/取締役、VISTA取締役として戦略実現に取り組む。
ROICは「入れる」ものではなく「使い切る」もの
ROIC経営の成熟度モデル(仮説)
ROIC経営は、単に財務指標を導入すれば完成するものではありません。「計算」から始まり、「判断」を経て、最終的に現場の「行動」が変わる。このプロセスこそが本質です。
多くの企業が直面する壁を乗り越えるための道筋として、ROIC経営の実践を五つの成熟度レベルに分けて整理しました。
ステップ1:まずは「説明のためのROIC」から始まる
最初のステップは、「投資家に説明する」ためのROIC導入です。
統合報告書などでROICを開示し始めるものの、社内での活用はまだ限定的で、過去の実績確認にとどまるケースが多く見られます。現場からは「また新しい指標が増えた」という受け止め方をされがちですが、この段階はまず自社の「稼ぐ力」を定義し、計算してみるという意味で重要な第一歩です。
ステップ2:事業の「稼ぐ力」が共通言語になる
次の段階では、事業ごとの「稼ぐ力」が可視化されます。
WACC(資本コスト)との比較が始まり、どの事業が価値を創造し、どの事業が価値を毀損しているのかについて、客観的な共通言語が生まれます。
実務上は、精緻な計算そのものよりも、事業間の相対比較や方向性の把握が重視されます。
ROICは「答え」ではなく、「議論の出発点」として機能し始める段階です。
ステップ3:ROICが“痛みを伴う判断”に使われ始めるとき
ROICが、意思決定の場で本格的に使われ始める段階です。
どこに資本を投じ、どこから引くのか。事業撤退や再編、資源配分の見直しにおいて、ROICが全社共通のルール、あるいは判断の軸として機能します。
この段階では、ROICは単なる管理指標ではなく、経営の覚悟を問う指標へと変わっていきます。
ステップ4:成長を抑える指標から、成長の質を高める規律へ
既存事業の改善にとどまらず、「時間を買う」投資であるM&AにもROICの規律が適用されます。
買収プレミアム(のれん)を含めたROICが一定期間内に基準を超えるかどうか。こうした投資規律を持つことで、非連続な成長と資本効率のバランスが高度に保たれます。
ROICは、成長を止めるための指標ではなく、成長の質を高めるための判断基準として機能します。
ステップ5:ROICを語らなくても、行動が変わる組織へ
最終段階では、現場の社員がROICという言葉を使わずとも、日々の行動が企業価値向上につながっていきます。
年次や月次ではなく、週次・日次のサイクルで、SKUや最小管理単位のデータがモニタリングされ、現場KPIと財務数値が完全に同期します。
ここに至る企業は決して多くありませんが、到達した企業では、経営と現場の目線が自然に一致し、「なぜこの行動が必要なのか」を説明しなくても通じる状態が生まれています。
ROICを目標にしないという選択
「結果としてのROIC経営」
一方で、ROIC経営を突き詰めるのではなく、あえてROICを経営目標として掲げないという選択をする企業も存在します。これはROIC経営を否定したり、途中でやめたりしたものではありません。指標管理とは異なる経営思想を選択した結果としてのアプローチです。
創業初期や特定の成長フェーズ、あるいは特定のビジネスモデルにおいては、複雑な計算式よりも優先されるものがあります。それは、顧客価値を徹底的に突き詰めた結果として、財務指標は後からついてくるという考え方です。
経営企画がまとめた「先月の会計数値」を会議で追いかけるのではなく、現場の生データ(Source Data)を直視すること。
全社一律のWACCで機械的に判断するのではなく、事業特性や顧客価値を踏まえた判断軸で投資を行うこと。
これらは一見するとROIC経営と矛盾するように見えますが、実際には「形式」ではなく「実質」を追求した結果として、資本効率が担保されているケースも少なくありません。ROICを目標に掲げないからこそ、結果としてROICが高まる――そのような経営のあり方も、確かに存在しています。
ROIC経営は、どこを目指す旅なのか
「形式」から始まった資本コスト経営への取り組みは、現場との「対話」を通じて磨かれていきます。
ROICを共通言語として組織を統合するのか、あるいは指標を超えた商売の本質で統合するのか。
皆様の会社がどの成熟度レベルにあり、あるいはどの思想を選択するのか。
本稿で示した仮説モデルが、経営と現場の新しい関係性を築くための対話のきっかけになれば幸いです。
