企業価値向上に欠かせないPERと資本コスト分析【第1回】PER改善に向けた株主資本コスト低減と期待成長率の向上
本シリーズでは、企業価値向上に欠かせないPERと資本コスト分析を解説します。
多くの日本企業が企業価値向上に取り組む中で、PBR(株価純資産倍率)の改善は重要な経営テーマです。PBRは、企業の収益性を示す「ROE(自己資本利益率)」と、市場からの期待値を反映する「PER(株価収益率)」に分解できます。
ROE改善に注力する企業が多い一方で、PBRを向上させるには「マーケット評価そのもの」であるPERを高めることが不可欠です。
本稿では、野村證券株式会社・金融工学研究センター長 太田 洋子氏を講師に招き、企業価値向上に欠かせないPERと資本コスト分析についてお話しいただきました。
シリーズ第1回は、PER改善の鍵となる株主資本コストの低減と、期待成長率の向上について、最新の分析結果を交えながら解説します。
太田 洋子 氏
野村證券株式会社 金融工学研究センター長 マネージング・ディレクター
【経歴】
慶應義塾大学経済学部卒業後、NRI入社。機関投資家向け株式運用コンサルティングを経て、1998年より日本企業が抱える様々な課題に対して金融工学をベースとしたソリューションの提供およびコンサルティング活動に従事、現在に至る。直近は非財務情報の可視化をテーマに、人的資本やインパクトの企業価値との関係分析に取り組んでいる。
金融庁「ESG評価・データ提供機関等に係る専門分科会」、「インパクト投資等に関する検討会」等に委員として参加。
共著に『企業価値向上の財務戦略』(ダイヤモンド社、不動産協会優秀著作奨励賞受賞)、『企業価値向上の事業投資戦略』(ダイヤモンド社、第5回M&Aフォーラム正賞受賞)など。
PBRの構成要因と日本企業の現在地
まず、日米欧の企業比較から日本企業の立ち位置を確認しましょう。以下の表が示す通り、残念ながら日本企業はPBR、ROEにおいて欧米企業に劣位しているのが現状です。
日本企業のPBRが低い要因は、ROEの低さ、すなわち本業の利益率の低さにありますが、PERも米国と比べると低水準に留まっていることがわかります。
これは、株式市場に日本企業の成長性が評価されていない可能性を示唆しています。
企業価値(PBR)を左右する要因とは?
次にどのような要素がPBRの差に影響を与えているのかを考えます。
野村證券の分析によれば、PBRの差異を生む約7割は財務要因(ROE、売上高成長率など)とESGスコアによって説明が可能です。
これは資本効率の向上、ESG課題への取り組み強化が、企業価値向上に寄与することを示唆しています。
一方で、残りの約3割は、モデルでは説明できない要素、すなわち「機会獲得」に関連する無形資産などが該当します。例えばイノベーション創出の素地、競争力、持続可能性、そして人的資本などが影響していると考えられます。
これら非財務的な価値をいかに高め、市場に伝えていくかが、PER向上の鍵と言えるでしょう。
株価と関連性の高いESG情報
特にESGに関しては、各項目と株価との関連性を分析しています。分析によると、189項目あるESG開示情報のうち、株価との間で統計的に有意な関連性が見られたのは下表に示す22項目でした。
各指標は内容によってプラス、マイナスいずれかの影響を与えることが明らかになっています。
● ネガティブな影響を抑える(リスク管理)…CO2排出量が多いビジネスからの収益割合や、環境や労働に関する論争の存在は、株価にマイナスの影響を与えます。環境(E)や社会(S)におけるリスクに適切に対応し、開示することが重要です。
● ポジティブな機会を獲得する…再生可能エネルギー関連の収益機会や、独立社外取締役比率、女性取締役比率などは、株価にプラスの影響を与えます。特に近年、人的資本に関する取り組みが「機会獲得」として市場から評価される傾向が強まっています。
以下に掲載している、2023年8月末時点でのPBRと関連性の高いESG開示情報の一覧と照合すると、わずか2年で重視される項目が変化していることがわかります。このように企業には時代の要請に合わせた開示と改善が求められます。
PER向上のメカニズム:「株主資本コスト低減」と「期待成長率向上」
PERは、簡易的に以下の式で表すことができます。
PER = 1 ÷ (株主資本コスト − 期待成長率(g))
式が示すように、PER向上には、分母である「株主資本コスト – 期待成長率」を小さくする必要があります。具体的には、株主資本コストを引き下げ、期待成長率(g)を引き上げるという2つのアプローチが有効です。
1.株主資本コストの低減(リスクマネジメント):ESG課題への対応などによる事業リスク(株価のボラティリティ)の抑制は、投資家が要求するリスクプレミアムを低下させ、株主資本コストの低減につながります。
2.期待成長率の向上(機会獲得):自社のビジネスを通じて社会課題を解決するようなイノベーションや、人的資本への投資は、持続的な成長への期待を高め、期待成長率の上昇につながります。
株価のボラティリティと期待成長率をさらに可視化すると以下のようになります。
人的資本への取り組みがPERを向上させる実例
市場の関心が高い人的資本を例に、PER向上のメカニズムを確認してみます。分析の結果、女性管理職比率や女性役員比率が高い企業ほど、市場が織り込む期待成長率が高い傾向が確認されました。
これは多様性のある組織こそ、中長期的な意思決定の質が高まるとの期待を示唆していると言えます。
女性管理職比率が高い企業ほど、株価のボラティリティ(変動リスク)が低い傾向も見られます。これは、多様性のあるリーダーシップがリスク管理能力の強化につながり、株主資本コストの低減に寄与すると予測されているためです。
これらの結果は、女性活躍推進をはじめとする人的資本への投資が、期待成長率の向上とリスク低減の両面から、PERの向上に有効な施策だと実証しています。
まとめ:PER向上のカギは財務戦略にとどまらない
PERの向上は、単なる財務戦略だけでなく、サステナビリティや人的資本といった非財務的な価値創造活動と密接に結びついています。自社の事業リスクを的確に管理して株主資本コストを抑制すると同時に、無形資産への投資を通じて将来の成長機会を創出し、市場からの期待を高めていく。この両輪を回すことが、持続的な企業価値向上への確かな道筋となります。
次回は、「株主資本コストの現状把握」をテーマに、市場別・業種別の分布などを詳しく解説してまいります。
企業価値向上に欠かせないPERと資本コスト分析【第2回】株主資本コストの現状把握~市場別、業種別、投資国別の分布~
本シリーズの一覧
企業価値向上に欠かせないPERと資本コスト分析【第1回】PER改善に向けた株主資本コスト低減と期待成長率の向上
企業価値向上に欠かせないPERと資本コスト分析【第2回】株主資本コストの現状把握~市場別、業種別、投資国別の分布~
企業価値向上に欠かせないPERと資本コスト分析【第3回】ベータの深堀り~流動性ベータ、業種ベータの考え方と実務への適用方法~
モニタリングを実現する
経営支援ソフトウエア
株式市場における自社の立ち位置や投資家目線の評価を分析・モニタリングできる、野村證券と共同開発したソフトウエアです。資本コスト分析や企業価値評価などのコーポレートファイナンス理論に基づいたノウハウと必要なデータを保持し、分析手順に従うだけで、資本コスト算出やROE分解などの現状分析、PER改善など企業価値向上を意識した計画立案などが実現できます。
